3.11故郷を思う。

おはようございます。

3・11から6年 その年に産れた子は、小学校入学を迎える事に成る、東北で起きた事や其処に原発が有った事がこんなに復興を遅らす事に成った。

未だに2500人を越す人が行方不明です、運よく震災は生き抜いたが関連死なる物で何人死んだか分からない、数々の問題が解決されないまま忘れ去られた?

前面に出て来る自助努力と言う物で何も出来ない行政です、あんな馬鹿でかい防波堤等地元住民にしてみれば迷惑千万という物です。

高台に作った建設用地に帰る人が居ない、6年も経ち農業を再開するか?しないでしょうと言うか出来ないのだ。

3.11を機会に故郷を思う人も多い

全く関係ないが、私の故郷は、名古屋市瑞穂区豆田町と言う所です。

団塊の世代で近所には同級生が多かった、決して裕福でなく各家庭には爺婆が居た、何のえんりょうもなく家に上がり遊んでいた。

因みに私の中学3年生の時は16組でした、1クラス50人なら800人が同級生です、3学年居ると2000人を越す、ですから運動会は瑞穂グランドでした。

丁度私が中学3年の時東京オリンピックでしたからグランド改修工事をしていたからサブグランドでの運動会でした。

開催の選手宣誓 私が遣りました。

バスケ バレーボール 陸上 水泳皆学校の代表選手でしたから私以外いない(これが自慢です)

其処には、27歳までいましたが、会社が刈谷にある為刈谷で家を建てました。

其処で会社定年までいた事に成る。

定年後 田舎に居住して現在に至る、何処に居た時も大震災等の被害もなく付いていたと思はないと行けない。