【美術】「没後50年 川端龍子 −超ド級の日本画ー」展

皆様、お今晩は。山種美術館にて9月20日迄開催中の特別展「没後50年 川端龍子 −超ド級日本画ー」展に行って参りました。その感想です。

「健剛なる芸術」の創造を唱え、大衆に訴える作品を描き続けた日本画家・川端龍子(1885-1966)。洋画から日本画への転向や院展脱退、絵画団体「青龍社」の樹立、規格外の大画面制作など、従来の枠組みを破るため常に挑戦を続けました。迫力に満ち、スケールの大きな龍子作品は、発表当時「昭和の狩野永徳」とも評されています。このたび、山種美術館では、龍子の没後50年を経たことを記念し、初期から晩年にかけての名だたる代表作を取り揃え、その画業を振り返る特別展を開催いたします。

1885(明治18)年、和歌山で生まれた龍子は上京した後、当初は洋画家を目指し文展に入選を果たしました。20代で新聞や雑誌の挿絵画家として職を得たことにより、龍子芸術の特徴の一つでもある、同時代の世相を俯瞰的に見るジャーナリズム性を習得します。やがて洋画修業のため渡米するものの、帰国後間もなく日本画家へと転向しました。

その後、独学で日本画を学んだ龍子は、30歳で再興院展に初入選、2年後には同人へ推挙されます。しかしながら、当時、繊細巧緻な画風が主流であった院展において、大胆な発想と筆致で構成された大画面の龍子の作品は「会場芸術」と批判されたことや院展内の軋轢もあり、脱退にいたります。そして、1929(昭和4)年、自ら主宰する「青龍社」を創立、戦時中も展覧会を開催するなど精力的な活動のなか、一貫して大衆のための作品を発表し続けました。

本展では、画業の初期にあたる洋画や挿絵画家期の資料、院展時代の作品、また青龍展第1回展に出品され記念碑的な『鳴門』(山種美術館)と『請雨曼荼羅』(大田区立龍子記念館)、さらに平安時代の装飾経をヒントに龍子の機知と技術が結集した『草の実』(大田区立龍子記念館)、ジャーナリズム精神の発露といえる『爆弾散華』(大田区立龍子記念館)、『金閣炎上』(東京国立近代美術館)、そして会場芸術の象徴ともいえる横幅7.2メートル超の大作『香炉峰』など一堂に展示します。また、『ホトトギス』同人でもあった龍子が1日1句作り続けた俳句に関わる作品や、小さな子どもや家族を慈しむ姿がうかがえる作品もあわせ、真摯で柔和な龍子の内面性が表れた初公開の作品資料類をご紹介します。

大正から昭和の日本画壇において既存の概念を打ち破ろうと強靭な意志を抱き、在野の雄として生涯描き続けた川端龍子の全貌を、12年ぶりとなるこの回顧展でご覧いただきます。

千葉市美術館にて開催されている「没後60年 椿貞雄」展が10年ぶりならば、こちらは12年ぶりの回顧展と言うだけありまして、山種美術館のみならず、大田区立龍子記念館、東京国立近代美術館大田区立郷土博物館に、意外なところでは東京美術倶楽部所蔵の作品も取り揃えて「没後50年」に相応しいものになっております。

今回またしても唸ってしまうのは才能のある人って言うのは20歳になるか為らないかと言う時点で「巧い」と感嘆してしまうような作品を出してしまっていることでして『正月之壱 萬歳』や『四季之花』、『機関車』等はとても十四歳の少年が描いたとは思えない程の完成度があるんです。

今回はそうした初期の作品や貴重な油彩画、はたまた挿絵画家として活躍していた頃の作品迄取り揃えていて興味深いものがあるんですが、この人の真骨頂は「会場芸術」と呼ぶに相応しい大作である『鳴門』や『香炉峰』が一つの展示室に収まっているのを観ると「大きいことは良いことだ」と頷いてしまう迫力があります。

その『香炉峰』はパイロットだった自分を描いた「戦争画」でありますが、もう一つの「戦争画」が自宅を空襲で喪った哀しみを描いた『爆弾散華』でして、野菜が砕け散っている様を「散華」として戦争にて喪った者への「散華」と被らせております。

今回観たのは7月23日迄開催中の「前期」でありますが、7月25日からはじまる「後期」には『金閣炎上』と『八ッ橋』があるのでこれも是非足を運びたいと思った展覧会でした。